エピソード
まんが日本史 #01 日本の誕生−原始時代の生活−
『#1 日本の誕生−原始時代の生活−』
今から数万年前の氷河時代、日本列島は大陸と地続きであった。人類は大陸から移動してきた獲物を追って日本列島にやってきた。これが日本人の先祖である。今から5000年ぐらい前になると、人々は家を得て、1ヶ所に集まって住むようになり、土器を使い始める。そして2000年ぐらい前になると人々は米を作るようになり、弥生時代へと変わってゆく。
まんが日本史 #02 幻の邪馬台国−女王卑弥呼−
『#2 幻の邪馬台国−女王卑弥呼−』
米を作るようになると人々の暮らしは豊かになるが、今度は土地と水をめぐって村と村が争い始める。強い村が弱い村を亡ぼして大きくなると、国ができ上がり、そして国と国とが常に争う時代になる。戦いに疲れた王たちは、それぞれの国を一つにまとめて大きな国を作ろうとし、邪馬台国が誕生。邪馬台国の女王・卑弥呼は優れた予言の力をもち、国々を従えてゆく。
まんが日本史 #03 大和朝廷の成立−古墳と大王たち−
『#3 大和朝廷の成立−古墳と大王たち−』
6世紀になると大和の国は王位を巡って豪族の間で争いが絶えなくなる。豪族たちは越前から男大迹王を迎えると、やがて大和を平定し大和朝廷が成立する。朝廷成立と前後して、大王や豪族たちを葬る前方後円の古墳が渡来人の力を借りて盛んに作られるように。中でも大きな力を有した仁徳天皇の古墳は、世界最大の土木工事と呼ばれるものとなる。
まんが日本史 #04 聖徳太子の理想−中国文化と仏教の伝来−
『#4 聖徳太子の理想−中国文化と仏教の伝来−』
6世紀半ばに、朝鮮の百済から大和朝廷に仏像とお経が贈られてくる。これが物部氏と蘇我氏の対立に発展。ここに登場するのが聖徳太子である。仏教に深い理解を示し、政治に高い理想を持っていた太子は、我が国初めての女帝・推古天皇を補佐して、官位12階、憲法17条を制定し、中国の進んだ文化、政治を取り入れて国家の基礎を作っていく。
まんが日本史 #05 大化の改新−中大兄皇子と藤原鎌足−
『#5 大化の改新−中大兄皇子と藤原鎌足−』
聖徳太子の死後、朝廷では蘇我氏の勢力が強くなり、蝦夷・入鹿親子が横暴を働き始める。そんな時、中大兄皇子と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が出会い、二人は力を合わせて蘇我氏親子を亡ぼし、政治の実権を再び朝廷に取り戻す。二人は聖徳太子が理想とした天皇中心の中央集権国家を作るための政治改革を行っていく。
まんが日本史 #06 壬申の乱−新しい国家の誕生−
『#6 壬申の乱−新しい国家の誕生−』
天智天皇の後継者は弟の大海人皇子が最有力だったが、天皇の死後、大海人皇子と天皇の子・大友皇子の対立が激しくなる。遂に大海人皇子が大友皇子を亡ぼすと、都を飛鳥に移した後、天武天皇となり天皇政を始める。天武天皇の死後は、皇后が持統天皇として即位し、日本最初の本格的な都・藤原京を建設し、夫の天武天皇の政治をさらに推し進める。
まんが日本史 #07 大仏開眼−仏教文化と奈良時代−
『#7 大仏開眼−仏教文化と奈良時代−』
朝廷が都を奈良の平城京へ移すと、必要とされた莫大な費用と労力のために庶民が犠牲となる。仏教の信仰心が厚い聖武天皇と光明皇后は、こうした人たちを救うために施薬院や悲田院を作り、仏教の力を借りて社会不安を取り除こうと全国に国分寺を建て、更にその中心となる大仏を建立することに。
まんが日本史 #08 鑑真和上の来日−遣唐使と中国文化−
『#8 鑑真和上の来日−遣唐使と中国文化−』
733年、遣唐使船に乗っていた栄叡と普照という二人の僧侶は、唐の国から徳の高い僧を招くという大事な役目を預かる。苦労の末、やっと鑑真という高僧にめぐり会うが、鑑真の日本渡航は嵐により度々失敗し、6度目にやっと日本へたどり着いた時には鑑真はすでに盲目になっていた。
まんが日本史 #09 道鏡の野心−貴族と僧侶の争い−
『#9 道鏡の野心−貴族と僧侶の争い−』
8世紀半ば、藤原仲麻呂が太政大臣として政権を握っていた頃、弓削道鏡という男が僧侶として頭角を現し始める。道鏡は大きな権力を手に入れ、ついに仲麻呂を滅ぼすまでになるが、天皇になる野心を持っていることを知った和気清麻呂は、一身を投げ出し打ち砕こうとする。
まんが日本史 #10 桓武天皇と平安京−坂上田村麻呂の蝦夷平定−
『#10 桓武天皇と平安京−坂上田村麻呂の蝦夷平定−』
7世紀半ば頃から長きに渡り東北地方の住民を支配しようとしていた朝廷に対し、地方民がはん乱を起こす。桓武天皇は坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、蝦夷平定を命じる。その後、京都に平安京が誕生し、明治2年に東京に移るまで1100年に渡って続く都となる。
まんが日本史 #11 摂関政治の始まり−燃える応天門−
『#11 摂関政治の始まり−燃える応天門−』
858年、藤原良房の孫に当たるわずか9歳の惟仁親王(後の清和天皇)が即位。そんな時、清涼殿の応天門が何者かに放火され、燃えるという事件がおきる。良房は対立していた大納言・伴善男を放火の犯人として追放し、臣下では初めての摂政の位につき、藤原一族の勢力は決定的なものとなる。
まんが日本史 #12 藤原氏の独裁政治−菅原道真の怨霊−
『#12 藤原氏の独裁政治−菅原道真の怨霊−』
藤原氏が朝廷と姻戚関係を深めて権力をほしいままにしていく頃、菅原道真は宇多天皇に認められ出世していくが、藤原氏は道真を九州の大宰府に左遷する。道真はここで2年を過ごした末、無念のうちに59歳で世を去るが、京都の北野天満宮が道真を祀り、学問の神様としても有名となる。
まんが日本史 #13 平将門の乱−立ち上がる地方の豪族−
『#13 平将門の乱−立ち上がる地方の豪族−』
9世紀の半ばになると、地方では新しい土地を開墾して力を蓄える豪族たちが増え、関東からは平将門が現れる。朝廷や国司に長い間苦しめられていた将門は、新しい国家を作ろうとして天皇に対抗し、自ら新皇と名乗るが、間もなく国香の子の貞盛と藤原秀郷らに亡ぼされることに。
まんが日本史 #14 花ひらく王朝文化−清少納言と紫式部−
『#14 花ひらく王朝文化−清少納言と紫式部−』
ちょうど1000年ごろ、大陸の唐に大きく影響されていた日本の文化に独自のものが生まれ始め、漢字をくずした「ひら仮名」や「かた仮名」が生まれ、特に女性の間に広まり、天皇の妃に仕えた女性たちの中から清少納言や紫式部などの女性作家が現れ、小説や日記文学などが大きく花開く。
まんが日本史 #15 武士のおこり−荘園と藤原氏の衰え−
『#15 武士のおこり−荘園と藤原氏の衰え−』
平将門の乱の後に平忠常が起こした叛乱を、源頼信が討伐したのを機に源氏は関東への進出。その後、前九年の役・後三年の役に功績をあげ、朝廷でも大きな力を持つようになる。一方、白河天皇は藤原氏を政治から遠ざけ、荘園の整理を行い、都の警備に武士たちを使い始める。
まんが日本史 #16 保元・平治の乱−貴族と武士の争い−
『#16 保元・平治の乱−貴族と武士の争い−』
白河上皇の時から始まった院政は、1156年(保元元年)には、崇徳上皇と後白河天皇との間で深刻な対立を生み、やがて「保元の乱」に発展する。乱の後、平清盛は藤原信西と組んで勢力を得るが、これに反発した源義朝は、藤原信頼と組んで都を占領し、信西を討つ「平治の乱」が勃発する。
まんが日本史 #17 栄える平氏−後白河法皇と平清盛−
『#17 栄える平氏−後白河法皇と平清盛−』
平治の乱で大きく力をのばした平氏一族は、京都の六波羅に住みつき、平清盛は参議となり、藤原貴族に代わって権力の座につくように。清盛は平氏の権力を確実なものにするため、後白河法皇に取り入る。強大になった平氏の力を恐れた後白河法皇は、清盛を抑えようとするが、逆に鳥羽殿に監禁される。
まんが日本史 #18 源氏の旗あげ−源頼朝と東国武士−
『#18 源氏の旗あげ−源頼朝と東国武士−』
1180年、平清盛は娘の徳子が生んだ三歳の言仁親王を即位させる。安徳天皇時代の平氏は全盛期を迎えるが、平治の乱で伊豆に流された源頼朝は、北条時政のもとで時の来るのを待つ。そして頼朝が山木兼隆を討った後に兵を挙げたと聞いた関東の豪族たちは、続々と頼朝の元に集まる。
放送時間
- 2025/08/03(日) 12:30
- 2025/08/03(日) 17:00
まんが日本史 #29 応仁の乱−内乱と下剋上−
『#29 応仁の乱−内乱と下剋上−』
8代将軍・足利義政の時代になると社会不安から一揆がしきりに起きるが、義政は贅沢な暮らしを続けたため幕府の財政はますます苦しくなっていく。幕府の実力者・細川勝元と山名宗全は、次の将軍に義政の弟・義視と義政の子・義尚をそれぞれ担いで対立する。
放送時間
- 2025/08/03(日) 12:30
- 2025/08/03(日) 17:00
放送時間
- 2025/08/10(日) 12:30
- 2025/08/10(日) 17:00
まんが日本史 #30 立ち上がる民衆−東山文化の輝き−
『#30 立ち上がる民衆−東山文化の輝き−』
応仁の乱の後、幕府の力は衰退し、人々の暮らしは一層苦しくなっていく。その状況下で土地を荒らされていた人々が各地で一揆を起こすようになり、これまでの社会体制は少しずつ崩れてゆく。その頃、足利義政は東山山荘を作り、銀閣に代表される東山文化が生まれる。
放送時間
- 2025/08/10(日) 12:30
- 2025/08/10(日) 17:00
放送時間
- 2025/08/17(日) 12:30
- 2025/08/17(日) 17:00
まんが日本史 #31 戦国時代の幕開け−北条早雲と毛利元就−
『#31 戦国時代の幕開け−北条早雲と毛利元就−』
応仁の乱の後、守護大名を倒して戦国大名となる者が増加する。北条早雲は兵を挙げ伊豆一帯を支配、土地の人々を大切にして国力をつけ、孫の氏康の頃には関東一円を支配する戦国大名となる。一方、毛利元就は大内家の内乱を機に中国地方を支配し、北条と並ぶ戦国大名となる。
放送時間
- 2025/08/17(日) 12:30
- 2025/08/17(日) 17:00
放送時間
- 2025/08/24(日) 12:30
- 2025/08/24(日) 17:00
まんが日本史 #32 鉄砲の伝来−キリスト教と西洋技術−
『#32 鉄砲の伝来−キリスト教と西洋技術−』
1543年、九州の種子島に流れ着いたポルトガル人により鉄砲が伝わると、あっという間に日本中に広まり、戦争の形を根本的に変えていく。それから6年後、鹿児島に宣教師フランシスコ・ザビエルが渡来、ポルトガル貿易のため布教を許された宣教師たちはキリスト教やヨーロッパの文明を伝える。
放送時間
- 2025/08/24(日) 12:30
- 2025/08/24(日) 17:00
放送時間
- 2025/08/31(日) 12:30
- 2025/08/31(日) 17:00
まんが日本史 #33 戦国の群雄−武田信玄と上杉謙信−
『#33 戦国の群雄−武田信玄と上杉謙信−』
甲斐の守護大名武田信虎の子、信玄は金山の開発に尽力。一方、越後の守護代・長尾為景の次男、のちの上杉謙信が体の弱い兄に替わって城主となると、北陸一帯を平定。その後、関東管領となり上杉家を継いだ謙信は、北信濃に手を伸ばした信玄と川中島で争うことに。これが有名な川中島の合戦である。
放送時間
- 2025/08/31(日) 12:30
- 2025/08/31(日) 17:00
放送時間
- 2025/09/07(日) 12:30
- 2025/09/07(日) 17:00
まんが日本史 #34 桶狭間の戦い−織田信長と木下藤吉郎−
『#34 桶狭間の戦い−織田信長と木下藤吉郎−』
尾張の織田信長は、尾張国守護代・織田信賢を滅ぼし尾張を平定。その頃、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)は、信長の草履取りとして仕える。さらに信長は今川義元の大軍を桶狭間で奇襲して倒し、松平元康(後の徳川家康)と同盟を結び、美濃の斉藤龍興を滅ぼし、天下統一への足がかりを掴む。
放送時間
- 2025/09/07(日) 12:30
- 2025/09/07(日) 17:00
放送時間
- 2025/09/14(日) 12:30
- 2025/09/14(日) 17:00
まんが日本史 #35 革命児・織田信長−一向一揆と比叡山焼き打ち−
『#35 革命児・織田信長−一向一揆と比叡山焼き打ち−』
美濃に移った信長は、足利義昭を将軍の座につけると、天下統一に乗り出す。経済力を蓄え、軍備を整えて徳川家康と同盟を結び、浅倉・浅井の連合軍を姉川の合戦で破る。さらに比叡山延暦寺を焼き討ちして滅ぼし、近畿地方一帯を支配。そして1573年、長篠の戦いで強敵・武田勝頼を倒す。
放送時間
- 2025/09/14(日) 12:30
- 2025/09/14(日) 17:00
放送時間
- 2025/09/21(日) 12:30
- 2025/09/21(日) 17:00
まんが日本史 #36 本能寺の変−英雄の最期−
『#36 本能寺の変−英雄の最期−』
1576年、信長は琵琶湖のほとりに安土城を築き、城下町を作る。敵対する大名を次々に滅ぼして天下統一に近づく中、京都の本能寺で明智光秀の謀叛にあい、49歳の生涯を終える。信長の死の報を受けた秀吉は、わずか10日で京都へ戻ると山崎の合戦で光秀を破る。
放送時間
- 2025/09/21(日) 12:30
- 2025/09/21(日) 17:00
放送時間
- 2025/09/28(日) 12:30
- 2025/09/28(日) 17:00
まんが日本史 #37 天下統一への道−豊臣秀吉と徳川家康−
『#37 天下統一への道−豊臣秀吉と徳川家康−』
明智を破った秀吉は、さらに柴田勝家を賤ヶ岳の戦いで破り、信長の跡を継ぐ地位を得る。そして大阪石山に大阪城を築き根拠地とする。1584年には、信長の次男・信雄が徳川家康連合軍と小牧・長久手で戦い、秀吉は家康と和平を結んで大阪に帰り、天下統一に向けて大きく踏み出す。
放送時間
- 2025/09/28(日) 12:30
- 2025/09/28(日) 17:00
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