まんが日本史

まんがで綴る日本の歴史。日本列島の成り立ちから明治維新までを追う

©中部日本教映

エピソード

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  • 2018/04/01(日) 07:30

まんが日本史 #2

米を作るようになると人々の暮らしは豊かになったが、今度は土地と水をめぐって村と村が争った。強い村が弱い村を亡ぼして大きくなり、国ができ上がっていった。そして国と国とが常に争う時代になった。戦いに疲れた王たちは、それぞれの国を一つにまとめて大きな国を作ろうとし、邪馬台国が誕生した。邪馬台国の女王・卑弥呼は優れた予言の力をもち、国々を従えた。

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  • 2018/04/01(日) 07:30

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  • 2018/04/02(月) 09:30

まんが日本史 #27

室町幕府の基礎を固めた義満は、太政大臣に任命され、公家をも支配するようになった。また義満は禅宗の寺を保護し、そこから五山文学と呼ばれる、優れた漢文や詩文が生まれ室町文化の特色のひとつとなった。1397年には、京都の北山に大邸宅の建設を始め、その中には現在も残る、金閣も作られた。更に、1401年に中国の明に使者を送り、国交を回復すると1404年から貿易を始め、幕府の財政を豊かにした。

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  • 2018/04/02(月) 09:30

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  • 2018/04/03(火) 09:30

まんが日本史 #28

1408年に足利義満が亡くなり、義持が四代将軍になった。しかし義持と弟の義嗣の間に争いが起こり、義嗣は殺されてしまう。父の義満を憎んでいた義持は北山山荘を取り壊し、また明との貿易を中止した。結果、幕府の財政は苦しくなった。六代将軍義教の頃から世の中は乱れ始め、1428年には生活に困った馬借たちを先頭に、農民や武士たちも加わって高利貸しや寺社を襲うという騒ぎが起きた。土一揆である。

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  • 2018/04/03(火) 09:30

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  • 2018/04/04(水) 09:30

まんが日本史 #29

15世紀半ば、八代将軍・足利義政の時代になると社会不安は更に増し、一揆がしきりに起こった。しかし義政は贅沢な暮らしを続けたので幕府の財政はますます苦しくなった。幕府の実力者・細川勝元と山名宗全は次の将軍に義政の弟・義視と義政の子・義尚をそれぞれ担いで対立し、同じ頃に起こった畠山家の相続争いを巻き込んで内乱になった。京都の町をほとんど焼き払ったこの内乱は11年も続いた。応仁の乱である。

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  • 2018/04/04(水) 09:30

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  • 2018/04/08(日) 07:30

まんが日本史 #3

6世紀になると大和の国は王位を巡って豪族の間で争いが絶えなかった。豪族たちは越前から男大迹王を迎えた。男大迹王は大和を平定し、大和朝廷が成立した。大和朝廷の成立と前後して、大王や豪族たちを葬る前方後円の古墳が渡来人の力を借りて盛んに作られた。中でも仁徳天皇の古墳は世界最大の土木工事で、当時の大王の力を人々に示した。

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  • 2018/04/08(日) 07:30

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  • 2018/04/05(木) 09:30

まんが日本史 #30

応仁の乱の後、幕府の力は衰退し、人々の暮らしは一層苦しくなった。その中で、土地を荒らされていた人々が立ち上がる。山城国一揆である。このような一揆は各地で起こり、これまでの社会体制は少しずつくずれていった。その頃、足利義政は東山山荘を作った。銀閣に代表される東山文化はこの時代に生まれた。

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  • 2018/04/05(木) 09:30

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  • 2018/04/06(金) 09:30

まんが日本史 #31

応仁の乱のあと、守護大名を倒して戦国大名となる者が増えてきた。今川氏親の家臣北条早雲は、兵を挙げ伊豆一帯を支配した。早雲は、土地の人々を大切にして国力をつけ、孫の氏康の頃には関東一円を支配する戦国大名となった。一方、幕府の重臣大内義興の家臣毛利元就は大内家の内乱を機にこれを滅ぼして中国地方を支配し、北条と並ぶ戦国大名となった。

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  • 2018/04/06(金) 09:30

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  • 2018/04/09(月) 09:30

まんが日本史 #32

1543年、九州の種子島に流れ着いたポルトガル人は、鉄砲を持っていた。領主の種子島時尭は、扱い方や火薬の作り方を学んだ。こうして鉄砲は武器としてあっという間に広まり、戦争の形を根本的に変えた。それから6年後、鹿児島にポルトガルの宣教師フランシスコ・ザビエルがやってきた。大名たちはポルトガルとの貿易のため布教を許し、宣教師たちはキリスト教のほかにヨーロッパの文明をも伝えた。

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  • 2018/04/09(月) 09:30

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  • 2018/04/10(火) 09:30

まんが日本史 #33

甲斐の守護大名武田信虎の子として生まれた晴信(後の信玄)は金山の開発に力を入れた。一方、越後の守護代・長尾為景の次男景虎(後の上杉謙信)は、体の弱い兄に替わって城主となると、北陸一帯を平定した。その後、関東管領となり上杉家を継いだ献身は、北信濃に手を伸ばした信玄と川中島で戦った。これが有名な川中島の合戦である。

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  • 2018/04/10(火) 09:30

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  • 2018/04/11(水) 09:30

まんが日本史 #34

尾張の小さな勢力だった織田信長は、尾張国守護代・織田信長を滅ぼして尾張を平定した。その頃、木下藤吉郎(後の豊臣秀吉)は、信長の草履取りとして仕えていた。更に信長は、1560年に今日へ向かう途中の今川義元の大軍を桶狭間に奇襲して倒し、戦国大名として天下取りの舞台へ踊り出た。その後、松平元康(後の徳川家康)と同盟を結び、美濃の斉藤龍興を滅ぼして、天下統一への足がかりとした。

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  • 2018/04/11(水) 09:30

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  • 2018/04/12(木) 09:30

まんが日本史 #35

美濃に移った信長は、足利義昭を後押しし、将軍の座につけると、天下統一に乗り出した。信長は商業や貿易を盛んにして経済力を蓄えると軍備を整え、徳川家康と同盟を結んで浅倉・浅井の連合軍を姉川の合戦で破り、比叡山延暦寺を焼き討ちして滅ぼし、近畿地方一帯を支配した。1573年、信長は彼に敵対した将軍・義昭を追放したので、室町幕府は滅び、長篠の戦いで、強敵・武田勝頼を倒した。

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  • 2018/04/12(木) 09:30

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  • 2018/04/13(金) 09:30

まんが日本史 #36

1576年1月、信長は琵琶湖のほとりに安土城を築き、城下町を作って商工業の発展に力を入れた。また、敵対する大名を次々に滅ぼして天下統一に近づいた。そんな中、秀吉が高松城攻略に手間取っており、信長は自ら出陣することに。途中京都の本能寺に泊まったが、明智光秀の謀叛により四十九歳の生涯を終えた。“信長死す”の報を受けた秀吉は、わずか10日で京都へ戻ると山崎の合戦で光秀を破る。

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  • 2018/04/13(金) 09:30

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  • 2018/04/16(月) 09:30

まんが日本史 #37

明智光秀を破った秀吉は、その名を天下に轟かした。しかし信長第一の武将・柴田勝家と織田家の後継ぎ問題から戦となった。賤ヶ岳の戦いでこれを破った秀吉は信長の跡を継ぐ地位を得た。そして大阪石山に大阪城を築き、天下統一の根拠地とした。1584年には、信長の次男・織田信雄・徳川家康連合軍と小牧・長久手に戦ったが、秀吉は家康と和平を結んで大阪に帰り、天下統一に向けて大きく踏み出した。

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  • 2018/04/16(月) 09:30

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  • 2018/04/17(火) 09:30

まんが日本史 #38

天下統一をめざす秀吉は、天正13年には長宗我部元親を降伏させて四国を平定。島津義久を討って九州をも平定した。秀吉は全国の田畑を正確に調査(検地)した。検地は封建制度を推し進めてゆくために是非とも必要だったのである。また秀吉は、キリスト教禁止令を出し、キリシタンの団結を抑えた。1590年(天承18年)には、小田原の北条氏を滅ぼし、更に奥州の伊達政宗も従えて全国統一を完成した。

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  • 2018/04/17(火) 09:30

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  • 2018/04/18(水) 09:30

まんが日本史 #39

全国統一を完成した秀吉は、領地拡大と名誉欲から二度にわたって朝鮮に攻め込んだ。文禄の役と慶長の役である。しかし朝鮮出兵は失敗に終わった。信長から秀吉に至る安土桃山時代は短い期間であったが力強く華やかな文化が次々と生まれた。その代表は城の天守閣で、城や書院造りの建物の中に絢爛たる絵や彫刻が施された。神社や寺でなく、人間の住むところに芸術の情熱が注がれたのがこの時代の特色である。

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  • 2018/04/18(水) 09:30

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  • 2018/04/15(日) 07:30

まんが日本史 #4

今から1450年程前、朝鮮の百済から大和朝廷に仏像とお経が贈られてきた。これが物部氏と蘇我氏の対立のもととなった。そして登場するのが聖徳太子である。仏教に深い理解を示し、政治に高い理想を持っていた太子は、我が国初めての女帝・推古天皇を補佐して、官位12階、憲法17条を制定し、中国の進んだ文化、政治を取り入れて国家の基礎を作った。

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  • 2018/04/15(日) 07:30

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  • 2018/04/19(木) 09:30

まんが日本史 #40

秀吉の死後、朝鮮出兵から戻った加藤清正は、石田三成らと対立した。家康はこの対立を利用して政権を得ようとした。1600年(慶長5年)、三成は毛利輝元・宇喜多秀家らと共に8万の兵を挙げた。家康も福島正則や黒田長政など、反三成派の武将とともに7万の兵をあげ、関ヶ原で激突した。戦いは家康軍の大勝利に終わった。こうして家康は、全国制覇への大きな山を乗り越えたのである。

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  • 2018/04/19(木) 09:30

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  • 2018/04/20(金) 09:30

まんが日本史 #41

1603年(慶長8年)、家康は朝廷から征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開いた。2年後には将軍職を息子の秀忠に譲った。こうして将軍職は徳川氏が続けることを天下に示すが、大坂城の豊臣秀頼が力を盛り返すのを恐れた家康は、慶長19年、秀頼が再建した方広寺の釣鐘の銘に言いがかりをつけ、大坂に攻め込んだ。翌年、大坂夏の陣で豊臣氏を滅ぼし、以後誰一人として家康に敵対するものはいなくなった。

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  • 2018/04/20(金) 09:30

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  • 2018/04/23(月) 09:30

まんが日本史 #42

豊臣氏を滅ぼした家康は、幕府の基礎を固めるために貿易に力を入れ、財政を豊かにした。さらにキリスト教を禁止した。そして徳川家末代までの繁栄をはかって大名たちを抑えるための法律「武家諸法度」を作った。しかしその家康も1616年、75歳でこの世を去った。二代将軍家忠は家康の教えを引き継ぎ、武家諸法度を忠実に守り、三代将軍家光の代には封建制度は完全なものとなり、幕府の基礎は固まった。

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  • 2018/04/23(月) 09:30

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  • 2018/04/24(火) 09:30

まんが日本史 #43

三代将軍家光は参勤交代という制度を作り、諸大名の謀叛を抑えようとした。また、家光はキリスト教の禁止を徹底し、『踏み絵』などでキリシタンを極端に弾圧した。厳しい弾圧と重税に耐えかねた農民たちが島原で一揆を起こした。一揆の中心となったのがキリシタンの天草四郎である。この島原の乱以後、幕府は宣教師の入国を恐れ、鎖国政策をとることになる。

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  • 2018/04/24(火) 09:30

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  • 2018/04/25(水) 09:30

まんが日本史 #44

鎖国を完成させた家光は、士農工商という身分制度を作り封建社会を確立した。家光の死後、家綱が四代将軍に、そして綱吉が五代将軍になった。この時代になると江戸幕府はゆるぎないものになっていた。この頃、大阪を中心に町人や商人たちの中から井原西鶴の小説や俳句の松尾芭蕉、浄瑠璃の近松門左衛門、浮世絵の菱川師宣など優れた文化が生まれた。これが元禄文化である。

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  • 2018/04/25(水) 09:30

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  • 2018/04/26(木) 09:30

まんが日本史 #45

1716年(享保元年)、徳川吉宗が8代将軍になり大岡忠相を江戸町奉行に抜擢した。吉宗は目安箱の設置・上米の令・新田の開発・町火消しの制度化など、大きな改革を行った。(享保の改革)。10代将軍家治の時代に登場した田沼意次は、幕府の財政を救うために積極的な経済政策を次々に実行した。しかし折から全国を襲った大飢饉のためにそのすべては失敗に終わった。

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  • 2018/04/26(木) 09:30

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  • 2018/04/27(金) 09:30

まんが日本史 #46

1787年(天明7年)、徳川家斉が11代将軍となった。補佐役になった松平定信は幕府の財政再建の改革を積極的に行った。このころ、オランダ医学の研究から発展した蘭学が始まり、また一方では本居宣長らによって日本独自の歴史や文学を探ろうとする国学が学ばれるようになった。また、町人の間には里見八犬伝などの小説や、歌麿などの浮世絵が黄金時代を迎えた。化政文化である。

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  • 2018/04/27(金) 09:30

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  • 2018/04/30(月) 09:30

まんが日本史 #47

1792年、ロシアの使節ラックスマンが松前に上陸、貿易を求めてきた。驚いた幕府は諸藩に海岸線の防備を命じ、北海道の開発を急いだ。1798年には近藤重蔵らによる大規模な調査が行われ、1800年には伊能忠敬による測量も行われた。その頃、東北を中心に全国的な飢饉が起こり、大阪でも飢え死にする人が出た。各地では一揆や打ちこわしが始まり、これを見かねた大塩平八郎は人々を救うために立ち上がった。

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  • 2018/04/30(月) 09:30

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  • 2018/04/22(日) 07:30

まんが日本史 #5

聖徳太子の死後、朝廷では蘇我氏の勢力が強くなり、蝦夷・入鹿親子が横暴をほしいままにしていた。そんな時、中大兄皇子と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が出会った。二人は力を合わせて蘇我氏親子を亡ぼし、政治の実権を再び朝廷に取り戻した。二人は聖徳太子が理想とした天皇中心の中央集権国家を作るための政治改革を行った。

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  • 2018/04/22(日) 07:30

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  • 2018/04/29(日) 07:30

まんが日本史 #6

天智天皇の後継者は弟の大海人皇子が最有力だったが、天皇の死後、大海人皇子と天皇の子・大友皇子の対立が激しくなる。ついに大海人皇子は大友皇子を亡ぼした。飛鳥に都を移した大海人皇子は、天武天皇となり天皇中心の政治を始めた。天武天皇の死後、皇后が持統天皇として即位し、日本最初の本格的な都・藤原京を建設し、夫の天武天皇の政治をさらに推し進めた。

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  • 2018/04/29(日) 07:30

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  • 2018/03/25(日) 07:30

まんが日本史#1

今から数万年前の氷河時代、日本列島は大陸と地続きであった。人類は大陸から移動してきた獲物を追って日本列島にやってきた。これが日本人の先祖である。今から5000年ぐらい前になると、人々は家を得て、1ヶ所に集まって住むようになり、土器を使い始める。そして2000年ぐらい前になると人々は米を作るようになり、弥生時代へと変わってゆく。米作りの普及は人々の暮らしを豊かにした。

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  • 2018/03/25(日) 07:30

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  • 2018/03/08(木) 09:30

まんが日本史#10

7世紀半ば頃から朝廷は、都から遠く離れた東北地方の住民を支配しようとしていた。この地方の人たちは反抗して叛乱を起こした。桓武天皇は坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、蝦夷平定を命じた。そして都を京都に移し、平安京とした。この平安京は明治2年に京都に都を移すまで、1100年に渡って続いた。

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  • 2018/03/08(木) 09:30

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  • 2018/03/09(金) 09:30

まんが日本史#11

858年、藤原良房の孫に当たるわずか9歳の惟仁親王が即位した。後の清和天皇である。そんな時、清涼殿の応天門が何者かに放火され、燃えるという事件がおきた。良房はこの事件を利用して対立していた大納言・伴善男を放火の犯人として追放し、臣下でははじめての摂政の位についた。藤原一族の勢力は決定的なものになった。

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  • 2018/03/09(金) 09:30

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  • 2018/03/12(月) 09:30

まんが日本史#12

藤原氏は朝廷と姻戚関係を深め、ますます権力をほしいままにしていた。菅原道真は、宇多天皇に認められ、出世していた。藤原氏にとって、道真は次第に邪魔な存在になってきた。藤原氏は道真を九州の大宰府に流し、道真はここで2年を過ごした末、無念のうちに59歳で世を去った。京都の北野天満宮は道真を祀ったお宮で学問の神様としても有名である。

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  • 2018/03/12(月) 09:30

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  • 2018/03/13(火) 09:30

まんが日本史#13

9世紀の半ばになると、律令制は崩れ始め、地方では新しい土地を開墾して力を蓄える豪族たちが増えてきた。関東の平将門もそのひとりであった。彼は伯父の平国香と領地のことで争い、国香を亡ぼして関東一帯を占領した。朝廷や国司に長い間苦しめられていた将門は、新しい国家を作ろうとして天皇に対抗し、自ら新皇と名乗った。しかし間もなく国香の子貞盛と藤原秀郷らに亡ぼされてしまった。

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  • 2018/03/13(火) 09:30

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  • 2018/03/14(水) 09:30

まんが日本史#14

ちょうど1000年ごろ、それまで大陸の唐に大きく影響されていた日本の文化も、独自のものが生まれ始めた。その中で、漢字をくずした「ひら仮名」や「かた仮名」が生まれ、特に女性の間に広まった。また、天皇の妃に仕えた女性たちの中から、清少納言や紫式部などの女性作家が現れ、小説や日記文学などが大きく花開いた。

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  • 2018/03/14(水) 09:30

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  • 2018/03/15(木) 09:30

まんが日本史#15

平将門の乱の後、平氏が大きな勢力を持つようになった。平氏の土地を取り上げようとした国司に、平忠常が叛乱を起こした。これを討伐したのが源頼信である。これが源氏の関東への進出の始まりとなった。その後、前九年の役・後三年の役に功績をあげた源氏は、朝廷でも大きな力を持つようになった。この頃、上皇となった白河天皇は藤原氏を政治から遠ざけ、荘園の整理を行い、都の警備に武士たちを使い始めた。

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  • 2018/03/15(木) 09:30

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  • 2018/03/16(金) 09:30

まんが日本史#16

白河上皇の時から始まった院政は、1156年(保元元年)には、崇徳上皇と後白河正皇との間で深刻な対立を生んだ。この対立が藤原氏や源氏・平氏を巻き込んだ戦いとなった。保元の乱である。保元の乱の後、平清盛は藤原信頼と組んで勢力を得たが、これに反発した源義朝は、藤原信頼と組んで都を占領し、信西を討った。平治の乱である。こうして貴族の時代は終わりを告げ、平清盛の時代になる。

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  • 2018/03/16(金) 09:30

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  • 2018/03/19(月) 09:30

まんが日本史#17

平治の乱で大きく力をのばした平氏一族は、京都の六波羅に多くの屋敷を作って住んでいた。平清盛は参議となり、藤原貴族に代わって権力の座についた。清盛は平氏の権力を確実なものにするため、後白河法皇に取り入り、太政大臣にまでなった。そして自分の娘・徳子を高倉天皇の妃にした。強大になった平氏の力を恐れた後白河法皇は、清盛を抑えようとしたが、逆に鳥羽殿に監禁される事となってしまった。

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  • 2018/03/19(月) 09:30

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  • 2018/03/20(火) 09:30

まんが日本史#18

1180年、平清盛は娘の徳子が生んだ、まだ三歳の言仁親王を即位させた。安徳天皇である。平氏は全盛時代を迎えていた。一方、平治の乱で伊豆に流された源頼朝は、北条時政に養われて時の来るのを待っていた。そして以仁王の平氏追討の命令を受けて、まず山木兼隆を討った。頼朝が兵を挙げたと聞いた関東の豪族たちは続々と頼朝の元に集まったのだった。

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  • 2018/03/20(火) 09:30

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  • 2018/03/21(水) 09:30

まんが日本史#19

伊豆で頼朝が兵を挙げた頃、木曽の源義仲は京へ攻め入った。平氏一門は安徳天皇と共に西国へ落ち伸びた。頼朝の命令で弟の源義経と範頼が義仲を討った。更に二人は、後白河法皇の命令で平氏を一の谷で破った。1185年3月、壇ノ浦で源氏と平氏の最後の決戦が行われ、ついに平氏は滅亡した。義経は後白河法皇から検非違使の位を授けられたが、頼朝はこれを許さなかった。

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  • 2018/03/21(水) 09:30

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  • 2018/03/22(木) 09:30

まんが日本史#20

義経は、鎌倉にはいることを許されなかった。頼朝は義経を追討するために、全国に守護・地頭を任命した。頼朝は鎌倉にはじめての武家政権の幕府を開き、着々とその基礎を固めた。義経は、奥州の藤原秀衡を頼って平泉に落ち延びたが、秀衡の子、泰衡の裏切りでついに31歳の生涯を終えた。頼朝は藤原泰衡を滅ぼした。鎌倉幕府の力は、東北まで行き渡ったのである。

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  • 2018/03/22(木) 09:30

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  • 2018/03/23(金) 09:30

まんが日本史#21

源頼朝の死後、二代将軍頼家は幕府の重臣たちは権力争いに巻き込まれて、伊豆に流され殺された。頼家の弟・実朝が三代将軍になったが、政治の実権は義時に握られ、北条氏による執権政治が始まった。その後、実朝は頼家の子・公暁に暗殺され、その公暁も殺されて源氏は三代で滅亡した。京都の後鳥羽上皇は、この機会に幕府を倒そうとしたが失敗に終わり、隠岐に流された。

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  • 2018/03/23(金) 09:30

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  • 2018/03/26(月) 09:30

まんが日本史#22

1268年、中国大陸一帯を支配していた元の皇帝フビライ・ハンは日本を征服しようと鎌倉幕府へ使者を送ってきた。しかし時の執権・北条時宗はこれを追い返した為、1274年(文永11年)10月、元軍が攻めてきた。幕府軍は苦戦したが、たまたま暴風雨になって元軍は敗走した。「文永の役」である。1281年(弘安4年)、再び元の大軍が攻めてきたが、また大暴風雨になり、幕府軍の勝利に終わった。「弘安の役」である。

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  • 2018/03/26(月) 09:30

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  • 2018/03/27(火) 09:30

まんが日本史#23

蒙古との戦いで人々の生活は苦しくなってきた。後醍醐天皇は幕府を倒そうとしたが、計画が事前に漏れ失敗する。天皇は1331年に再び倒幕の兵を挙げたがこれも失敗して隠岐島に流された。しかしその後、楠正成や足利尊氏らは天皇に味方して京都の六波羅探題を滅ぼし、新田義貞も兵を挙げて鎌倉を攻め、1333年ついに141年に渡る鎌倉幕府を滅ぼした。

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  • 2018/03/27(火) 09:30

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  • 2018/03/28(水) 09:30

まんが日本史#24

鎌倉幕府が滅びると、後醍醐天皇は京都に戻り、翌1334年には年号を建武と改めて自ら政治を行った。しかし公家中心の政治は武士たちの不満を生む。足利尊氏は鎌倉で兵を挙げる。後醍醐天皇は新田義貞と北島顕家に尊氏討伐を命じたが尊氏は新田義貞を破り、京都へ入った。そこで楠正成は北島顕家らと協力して尊氏を九州へ追いやるが、勢力を回復した尊氏は湊川で楠正成らを破り、再び京都を占領した。

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  • 2018/03/28(水) 09:30

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  • 2018/03/29(木) 09:30

まんが日本史#25

京都を追われた後醍醐天皇は吉野に逃れ、仮の御所を開いた。京都では尊氏の後押しで豊仁親王が即位し、光明天皇となった。これが吉野の南朝と京都の北朝である。1336年、尊氏は「建武式目」という17条の法律を作り、1338年には北朝から征夷大将軍に任命されて京都に足利幕府を開いた。しかし尊氏は、弟の直義と対立するなど、幕府内での権力争いが絶えず、南朝と北朝の対立も以後60年続いた。

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  • 2018/03/29(木) 09:30

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  • 2018/03/30(金) 09:30

まんが日本史#26

二代将軍足利義詮は各地で大きな力をつけ始めた守護大名の問題と、南北朝の争いを解決できないまま亡くなった。三代将軍になった義満は京都の室町に幕府を移して政治を行い、土倉や酒屋から税金をとって幕府の財政を豊かにした。そして守護大名の中で大きな力を持っていた土岐康行や山名氏清らを潰し、全国の守護大名を抑えて支配を固めた。更に1392年には南朝と北朝の統一を行い、室町幕府の基礎を固めた。

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  • 2018/03/30(金) 09:30

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  • 2018/03/01(木) 09:30

まんが日本史#5

聖徳太子の死後、朝廷では蘇我氏の勢力が強くなり、蝦夷・入鹿親子が横暴をほしいままにしていた。そんな時、中大兄皇子と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が出会った。二人は力を合わせて蘇我氏親子を亡ぼし、政治の実権を再び朝廷に取り戻した。二人は聖徳太子が理想とした天皇中心の中央集権国家を作るための政治改革を行った。中国にならって初めて「大化」という年号を定めたり、都を難波(今の大阪)に移したりした。

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  • 2018/03/01(木) 09:30

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  • 2018/03/04(日) 07:30

まんが日本史#50

下関で外国船を砲撃した長州藩は、尊皇攘夷のリーダーシップを握り、京都にあふれていた。しかし公武合体をすすめる幕府と朝廷は長州藩を京都から追放した。翌年長州藩が京都に出兵したのをきっかけに、幕府は長州征伐を行った。外国船砲撃の報復で下関を占領されていた長州藩は、やむなく幕府に降伏した。しかしその後、薩摩・長州両藩に討幕運動が起こり、坂本龍馬の仲介で薩長連合が成立する。

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  • 2018/03/04(日) 07:30

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  • 2018/03/11(日) 07:30

まんが日本史#51

1866年、幕府は第二回長州征伐を行った。しかしこの戦に苦戦している間に将軍・家茂が亡くなり、幕府は戦いを中止した。15代将軍になった慶喜は幕府軍の増強を始めた。しかし孝明天皇が亡くなると慶喜は討幕派の動きを封じるため1867年、大政奉還をした。しかし討幕派は慶喜に将軍の辞任と領地の返還を要求し、旧幕府側を挑発して内戦を起こした。これが戊辰戦争である。

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  • 2018/03/11(日) 07:30

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  • 2018/03/18(日) 07:30

まんが日本史#52

1868年2月、新政府は慶喜追放命令を出し、江戸を包囲した。しかし、新政府軍は戦うことなく江戸城へ入城した。その後も江戸の彰義隊や東北諸藩との間に戦いが続いたが、函館の五稜郭の戦いを最後に国内は新政府軍によって統一された。江戸城に入った明治天皇は江戸を東京と改め、年号も慶応から明治とあらため廃藩置県や学校制度など新しい近代日本がスタートした。

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  • 2018/03/18(日) 07:30

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  • 2018/03/02(金) 09:30

まんが日本史#6

天智天皇の後継者には、天皇の弟の大海人皇子が最も有力だったが、天皇の死後、大海人皇子と天皇の子・大友皇子の対立が激しくなる。ついに大海人皇子は大友皇子を亡ぼした。672年のことである。飛鳥に都を移した大海人皇子は、天武天皇となり天皇中心の政治を始めた。天武天皇の死後、皇后が持統天皇とし即位し、日本最初の本格的な都、藤原京を建設し、夫の天武天皇の政治をさらに推し進めた。

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  • 2018/03/02(金) 09:30

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  • 2018/03/05(月) 09:30

まんが日本史#7

朝廷は、都を奈良の平城京へ移した。都を移すには莫大な費用と労力が必要で、常に庶民がその犠牲になり、巷には浮浪者の行き倒れが多く出た。聖武天皇と光明皇后は、こうした人たちを救うために施薬院や悲田院を作った。天皇と皇后は仏教の信仰心が厚く、仏教の力を借りて社会不安を取り除こうと全国に国分寺を建て、更にその中心となる大仏を建立することにした。

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  • 2018/03/05(月) 09:30

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  • 2018/03/06(火) 09:30

まんが日本史#8

733年、遣唐使船が唐に向かった。その船に、栄叡と普照という二人の僧侶が乗っていた。二人は唐の国から徳の高い僧を招くという大事な役目を持っていた。唐に渡った二人は苦労の末、やっと鑑真という高僧にめぐり会うことができた。しかし鑑真の日本渡航は嵐にあったりして失敗し、やっと6度目に日本へたどり着いた時には鑑真はすでに盲目になっていた。

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  • 2018/03/06(火) 09:30

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  • 2018/03/07(水) 09:30

まんが日本史#9

8世紀の中ごろ、藤原仲麻呂は太政大臣として政権を握っていた。この頃、僧侶として頭角をあらわしたのが弓削道鏡である。道鏡は次第に大きな権力を手に入れた。そして仲麻呂と対立するようになり、ついに仲麻呂は滅びることとなる。やがて道鏡は、自分が天皇になる野心を持つようになった。和気清麻呂は、一身を投げ出してこの道鏡の野心を打ち砕く。

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  • 2018/03/07(水) 09:30

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