まんが日本史

まんがで綴る日本の歴史。日本列島の成り立ちから明治維新までを追う

©中部日本教映

エピソード

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  • 2018/07/26(木) 09:30

まんが日本史 #1

<#1 日本の誕生−原始時代の生活−> 今から数万年前の氷河時代、日本列島は大陸と地続きであった。人類は大陸から移動してきた獲物を追って日本列島にやってきた。これが日本人の先祖である。今から5000年ぐらい前になると、人々は家を得て、1ヶ所に集まって住むようになり、土器を使い始める。そして2000年ぐらい前になると人々は米を作るようになり、弥生時代へと変わってゆく。

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  • 2018/07/26(木) 09:30

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  • 2018/08/08(水) 09:30

まんが日本史 #10

<#10 桓武天皇と平安京−坂上田村麻呂の蝦夷平定−> 7世紀半ば頃から朝廷は、都から遠く離れた東北地方の住民を支配しようとしていた。この地方の人たちは反抗して叛乱を起こした。桓武天皇は坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し、蝦夷平定を命じた。そして都を京都に移し、平安京とした。この平安京は明治2年に東京に都を移すまで、1100年に渡って続いた。

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  • 2018/08/08(水) 09:30

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  • 2018/08/09(木) 09:30

まんが日本史 #11

<#11 摂関政治のはじまり−燃える応天門−> 858年、藤原良房の孫に当たるわずか9歳の惟仁親王が即位した。後の清和天皇である。そんな時、清涼殿の応天門が何者かに放火され、燃えるという事件がおきた。良房はこの事件を利用して対立していた大納言・伴善男を放火の犯人として追放し、臣下でははじめての摂政の位についた。藤原一族の勢力は決定的なものになった。

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  • 2018/08/09(木) 09:30

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  • 2018/08/10(金) 09:30

まんが日本史 #12

<#12 藤原氏の独裁政治−菅原道真の怨霊−> 藤原氏は朝廷と姻戚関係を深め、ますます権力をほしいままにしていた。菅原道真は、宇多天皇に認められ、出世していた。藤原氏にとって、道真は次第に邪魔な存在になってきた。藤原氏は道真を九州の大宰府に流し、道真はここで2年を過ごした末、無念のうちに59歳で世を去った。京都の北野天満宮は道真を祀ったお宮で学問の神様としても有名である。

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  • 2018/08/10(金) 09:30

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  • 2018/07/01(日) 07:30
  • 2018/08/13(月) 09:30

まんが日本史 #13

<#13 平将門の乱−立ち上がる地方の豪族−> 9世紀の半ばになると律令制は崩れ始め、地方では新しい土地を開墾して力を蓄える豪族たちが増えてきた。関東の平将門もそのひとりであった。彼は伯父の平国香と領地のことで争い、国香を亡ぼして関東一帯を占領した。朝廷や国司に長い間苦しめられていた将門は、新しい国家を作ろうとして天皇に対抗し、自ら新皇と名乗る。

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  • 2018/07/01(日) 07:30
  • 2018/08/13(月) 09:30

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  • 2018/07/08(日) 07:30
  • 2018/08/14(火) 09:30

まんが日本史 #14

<#14 花ひらく王朝文化−清少納言と紫式部−> ちょうど1000年ごろ、それまで大陸の唐に大きく影響されていた日本の文化も、独自のものが生まれ始めた。その中で、漢字をくずした「ひら仮名」や「かた仮名」が生まれ、特に女性の間に広まった。また、天皇の妃に仕えた女性たちの中から、清少納言や紫式部などの女性作家が現れ、小説や日記文学などが大きく花開いた。

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  • 2018/07/08(日) 07:30
  • 2018/08/14(火) 09:30

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  • 2018/07/15(日) 07:30
  • 2018/08/15(水) 09:30

まんが日本史 #15

<#15 武士のおこり−荘園と藤原氏の衰え−> 平将門の乱の後、平氏が大きな勢力を持つようになった。平氏の土地を取り上げようとした国司に、平忠常が叛乱を起こした。これを討伐したのが源頼信である。これが源氏の関東への進出の始まりとなった。その後、前九年の役・後三年の役に功績をあげた源氏は、朝廷でも大きな力を持つようになった。

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  • 2018/07/15(日) 07:30
  • 2018/08/15(水) 09:30

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  • 2018/07/22(日) 07:30
  • 2018/08/16(木) 09:30

まんが日本史 #16

<#16 保元・平治の乱−貴族と武士の争い−> 白河上皇の時から始まった院政は、1156年には崇徳上皇と後白河天皇との間で深刻な対立を生んだ。この対立が藤原氏や源氏・平氏を巻き込んだ戦いとなった、保元の乱である。保元の乱の後、平清盛は藤原信西と組んで勢力を得たが、これに反発した源義朝は、藤原信頼と組んで都を占領し、信西を討った。平治の乱である。

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  • 2018/07/22(日) 07:30
  • 2018/08/16(木) 09:30

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  • 2018/07/29(日) 07:30
  • 2018/08/17(金) 09:30

まんが日本史 #17

<#17 栄える平氏−後白河法皇と平清盛−> 平治の乱で大きく力をのばした平氏一族は、京都の六波羅に多くの屋敷を作って住んでいた。平清盛は参議となり、藤原貴族に代わって権力の座についた。清盛は平氏の権力を確実なものにするため、後白河法皇に取り入り、太政大臣にまでなった。強大になった平氏の力を恐れた後白河法皇は、清盛を抑えようとしたが、逆に鳥羽殿に監禁される事となってしまった。

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  • 2018/07/29(日) 07:30
  • 2018/08/17(金) 09:30

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  • 2018/08/05(日) 07:30
  • 2018/08/20(月) 09:30

まんが日本史 #18

<#18 源氏の旗あげ−源頼朝と東国武士−> 1180年、平清盛は娘の徳子が生んだ三歳の言仁親王を即位させた。安徳天皇である。平氏は全盛時代を迎えていた。一方、平治の乱で伊豆に流された源頼朝は、北条時政に養われて時の来るのを待っていた。そして以仁王の平氏追討の命令を受けて、まず山木兼隆を討った。頼朝が兵を挙げたと聞いた関東の豪族たちは続々と頼朝の元に集まったのだった。

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  • 2018/08/05(日) 07:30
  • 2018/08/20(月) 09:30

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  • 2018/08/12(日) 07:30
  • 2018/08/21(火) 09:30

まんが日本史 #19

<#19 源平の合戦−義経の奮戦と平氏滅亡−> 伊豆で頼朝が兵を挙げた頃、木曽の源義仲は京へ攻め入った。平氏一門は安徳天皇と共に西国へ落ち伸びた。頼朝の命令で弟の源義経と範頼が義仲を討った。更に二人は、後白河法皇の命令で平氏を一の谷で破った。1185年3月、壇ノ浦で源氏と平氏の最後の決戦が行われ、ついに平氏は滅亡した。義経は後白河法皇から検非違使の位を授けられたが、頼朝はこれを許さなかった。

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  • 2018/08/12(日) 07:30
  • 2018/08/21(火) 09:30

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  • 2018/07/27(金) 09:30

まんが日本史 #2

<#2 幻の邪馬台国−女王卑弥呼−> 米を作るようになると人々の暮らしは豊かになったが、今度は土地と水をめぐって村と村が争った。強い村が弱い村を亡ぼして大きくなり、国ができ上がっていった。そして国と国とが常に争う時代になった。戦いに疲れた王たちは、それぞれの国を一つにまとめて大きな国を作ろうとし、邪馬台国が誕生した。邪馬台国の女王・卑弥呼は優れた予言の力をもち、国々を従えた。

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  • 2018/07/27(金) 09:30

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  • 2018/08/19(日) 07:30
  • 2018/08/22(水) 09:30

まんが日本史 #20

<#20 鎌倉幕府の成立−武家政治と封建制度−> 義経は鎌倉にはいることを許されなかった。頼朝は義経を追討するために、全国に守護・地頭を任命した。頼朝は鎌倉にはじめての武家政権の幕府を開き、着々とその基礎を固めた。義経は奥州の藤原秀衡を頼って平泉に落ち延びたが、秀衡の子・泰衡の裏切りでついに31歳の生涯を終えた。その後、頼朝は藤原泰衡を滅ぼし、鎌倉幕府の力は東北まで行き渡ったのである。

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  • 2018/08/19(日) 07:30
  • 2018/08/22(水) 09:30

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  • 2018/08/23(木) 09:30
  • 2018/08/26(日) 07:30

まんが日本史 #21

<#21 源氏の滅亡−北条政子と承久の乱−> 源頼朝の死後、二代将軍・頼家は幕府の重臣たちの権力争いに巻き込まれて、伊豆に流され殺された。頼家の弟・実朝が三代将軍になったが、政治の実権は義時に握られ、北条氏による執権政治が始まった。その後、実朝は頼家の子・公暁に暗殺され、その公暁も殺されて源氏は三代で滅亡した。京都の後鳥羽上皇は、この機会に幕府を倒そうとしたが失敗に終わり、隠岐に流された。

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  • 2018/08/23(木) 09:30
  • 2018/08/26(日) 07:30

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  • 2018/08/24(金) 09:30

まんが日本史 #22

<#22 蒙古襲来−国難と北条時宗−> 1268年、中国大陸一帯を支配していた元の皇帝フビライ・ハンは日本を征服しようと鎌倉幕府へ使者を送ってきた。しかし時の執権・北条時宗はこれを追い返した為、1274年、元軍が攻めてきた。幕府軍は苦戦したが、たまたま暴風雨になって元軍は敗走した。「文永の役」である。1281年、再び元の大軍が攻めてきたが、また大暴風雨になり、幕府軍の勝利に終わった。「弘安の役」である。

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  • 2018/08/24(金) 09:30

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  • 2018/08/27(月) 09:30

まんが日本史 #23

<#23 鎌倉幕府の崩壊−御家人の不満と広がる内乱−> 蒙古との戦いで人々の生活は苦しくなってきた。後醍醐天皇は幕府を倒そうとしたが、計画が事前に漏れ失敗する。天皇は1331年に再び倒幕の兵を挙げたがこれも失敗して隠岐島に流された。しかしその後、楠正成や足利尊氏らは天皇に味方して京都の六波羅探題を滅ぼし、新田義貞も兵を挙げて鎌倉を攻め、1333年ついに141年に渡る鎌倉幕府を滅ぼした。

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  • 2018/08/27(月) 09:30

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  • 2018/08/28(火) 09:30

まんが日本史 #24

<#24 建武の新政−後醍醐天皇の理想−> 鎌倉幕府が滅びると、後醍醐天皇は京都に戻り、翌年には年号を建武と改めて自ら政治を行った。しかし公家中心の政治は武士たちの不満を生み、足利尊氏は鎌倉で兵を挙げる。天皇は新田義貞と北島顕家に尊氏討伐を命じたが尊氏は新田義貞を破り、京都へ入った。そこで楠正成は北島顕家らと協力して尊氏を九州へ追いやるが、尊氏は湊川で楠正成らを破り、再び京都を占領した。

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  • 2018/08/28(火) 09:30

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  • 2018/08/29(水) 09:30

まんが日本史 #25

<#25 南朝と北朝の対立−足利尊氏幕府を開く−> 京都を追われた後醍醐天皇は吉野に逃れ、仮の御所を開いた。京都では尊氏の後押しで豊仁親王が即位し、光明天皇となった。これが吉野の南朝と京都の北朝である。尊氏は「建武式目」という17条の法律を作り、北朝から征夷大将軍に任命されて京都に足利幕府を開いた。しかし尊氏は弟の直義と対立するなど、幕府内での権力争いが絶えず、南朝と北朝の対立も以後60年続いた。

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  • 2018/08/29(水) 09:30

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  • 2018/08/30(木) 09:30

まんが日本史 #26

<#26 南北朝の統一−室町幕府の基礎固まる−> 二代将軍足利義詮は各地で大きな力をつけ始めた守護大名の問題と、南北朝の争いを解決できないまま亡くなった。三代将軍になった義満は京都の室町に幕府を移して政治を行い、土倉や酒屋から税金をとって幕府の財政を豊かにした。そして守護大名の中で大きな力を持っていた土岐康行らを潰し、支配を固めた。更に南朝と北朝の統一を行い、室町幕府の基礎を固めた。

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  • 2018/08/30(木) 09:30

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  • 2018/08/31(金) 09:30

まんが日本史 #27

<#27 室町幕府の繁栄−足利義満と北山文化−> 室町幕府の基礎を固めた義満は太政大臣に任命され、公家をも支配するようになった。また義満は禅宗の寺を保護し、そこから五山文学と呼ばれる優れた漢文や詩文が生まれ、室町文化の特色のひとつとなった。1397年には京都の北山に大邸宅の建設を始め、金閣も作られた。更に1401年には中国の明に使者を送り、国交を回復すると1404年から貿易を始め、幕府の財政を豊かにした。

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  • 2018/08/31(金) 09:30

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  • 2018/07/30(月) 09:30

まんが日本史 #3

<#3 大和朝廷の成立−古墳と大王たち−> 6世紀になると大和の国は王位を巡って豪族の間で争いが絶えなかった。豪族たちは越前から男大迹王を迎えた。男大迹王は大和を平定し、大和朝廷が成立した。大和朝廷の成立と前後して、大王や豪族たちを葬る前方後円の古墳が渡来人の力を借りて盛んに作られた。中でも仁徳天皇の古墳は世界最大の土木工事で、当時の大王の力を人々に示した。

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  • 2018/07/30(月) 09:30

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  • 2018/07/02(月) 09:30

まんが日本史 #35

<#35 革命児・織田信長−一向一揆と比叡山焼き討ち−> 美濃に移った信長は足利義昭を将軍の座につけると、天下統一に乗り出した。信長は商業や貿易を盛んにして経済力を蓄えると軍備を整え、徳川家康と同盟を結んで浅倉・浅井の連合軍を姉川の合戦で破り、比叡山延暦寺を焼き討ちして滅ぼし、近畿地方一帯を支配した。1573年、信長は彼に敵対した将軍・義昭を追放。室町幕府は滅び、長篠の戦いで、強敵・武田勝頼を倒した。

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  • 2018/07/02(月) 09:30

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  • 2018/07/03(火) 09:30

まんが日本史 #36

<#36 本能寺の変−英雄の最期−> 1576年1月、信長は琵琶湖のほとりに安土城を築き、城下町を作って商工業の発展に力を入れた。また、敵対する大名を次々に滅ぼして天下統一に近づいた。そんな中、秀吉が高松城攻略に手間取っており、信長は自ら出陣することに。途中京都の本能寺に泊まったが、明智光秀の謀叛により49歳の生涯を終えた。

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  • 2018/07/03(火) 09:30

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  • 2018/07/04(水) 09:30

まんが日本史 #37

<#37 天下統一への道−豊臣秀吉と徳川家康−> 明智光秀を破った秀吉は、その名を天下に轟かした。しかし信長第一の武将・柴田勝家と織田家の後継ぎ問題から戦となった。賤ヶ岳の戦いで勝利した秀吉は信長の跡を継ぐ地位を得た。そして大阪石山に大阪城を築き、天下統一の根拠地とした。1584年には、信長の次男・織田信雄・徳川家康連合軍と戦ったが、秀吉は家康と和平を結んで大阪に帰り、天下統一に向けて大きく踏み出した。

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  • 2018/07/04(水) 09:30

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  • 2018/07/05(木) 09:30

まんが日本史 #38

<#38 秀吉ついに天下を取る−封建制度の確立−> 天下統一をめざす秀吉は、天正13年には長宗我部元親を降伏させて四国を平定。島津義久を討って九州をも平定した。秀吉は全国の田畑を正確に調査(検地)した。検地は封建制度を推し進めてゆくために是非とも必要だったのである。また秀吉は、キリスト教禁止令を出し、1590年(天承18年)には、小田原の北条氏を滅ぼし、更に奥州の伊達政宗も従えて全国統一を完成した。

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  • 2018/07/05(木) 09:30

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  • 2018/07/06(金) 09:30

まんが日本史 #39

<#39 豊臣秀吉の野望−朝鮮出兵と安土桃山の文化−> 全国統一を完成した秀吉は、領地拡大と名誉欲から二度にわたって朝鮮に攻め込んだが、いずれも失敗に終わった。信長から秀吉に至る安土桃山時代は短い期間であったが力強く華やかな文化が次々と生まれた。その代表は城の天守閣で、城や書院造りの建物の中に絢爛たる絵や彫刻が施された。神社や寺でなく、人間の住むところに芸術の情熱が注がれたのがこの時代の特色である。

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  • 2018/07/06(金) 09:30

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  • 2018/07/31(火) 09:30

まんが日本史 #4

<#4 聖徳太子の理想−中国文化と仏教の伝来−> 今から1450年程前、朝鮮の百済から大和朝廷に仏像とお経が贈られてきた。これが物部氏と蘇我氏の対立のもととなった。そして登場するのが聖徳太子である。仏教に深い理解を示し、政治に高い理想を持っていた太子は、我が国初めての女帝・推古天皇を補佐して、官位12階、憲法17条を制定し、中国の進んだ文化、政治を取り入れて国家の基礎を作った。

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  • 2018/07/31(火) 09:30

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  • 2018/07/09(月) 09:30

まんが日本史 #40

<#40 関ヶ原の合戦−家康と石田三成の対決−> 秀吉の死後、朝鮮出兵から戻った加藤清正は石田三成らと対立した。家康はこの対立を利用して政権を得ようとした。1600年、三成は毛利輝元・宇喜多秀家らと共に8万の兵を挙げた。家康も福島正則や黒田長政など、反三成派の武将とともに7万の兵をあげ、関ヶ原で激突した。戦いは家康軍の大勝利に終わった。こうして家康は、全国制覇への大きな山を乗り越えたのである。

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  • 2018/07/09(月) 09:30

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  • 2018/07/10(火) 09:30

まんが日本史 #41

<#41 家康江戸幕府を開く−大阪夏の陣と豊臣氏滅亡−> 1603年(慶長8年)、家康は朝廷から征夷大将軍に任ぜられ、江戸に幕府を開いた。2年後には将軍職を息子の秀忠に譲り、将軍職は徳川氏が続けることを天下に示すが、大坂城の豊臣秀頼が力を盛り返すのを恐れた家康は、慶長19年、秀頼が再建した方広寺の釣鐘の銘に言いがかりをつけ、大坂に攻め込んだ。

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  • 2018/07/10(火) 09:30

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  • 2018/07/11(水) 09:30

まんが日本史 #42

<#42 徳川家康の政治−江戸幕府の基礎固まる−> 豊臣氏を滅ぼした家康は、幕府の基礎を固めるために貿易に力を入れ、財政を豊かにした。キリスト教を禁止し、そして徳川家末代までの繁栄をはかって大名たちを抑えるための法律「武家諸法度」を作った。しかしその家康も1616年、75歳でこの世を去った。二代将軍・家忠は家康の教えを引き継ぎ、三代将軍・家光の代には封建制度は完全なものとなり、幕府の基礎は固まった。

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  • 2018/07/11(水) 09:30

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  • 2018/07/12(木) 09:30

まんが日本史 #43

<#43 キリシタンの弾圧−島原の乱と鎖国−> 三代将軍・家光は参勤交代という制度を作り、諸大名の謀叛を抑えようとした。また、家光はキリスト教の禁止を徹底し、『踏み絵』などでキリシタンを極端に弾圧した。厳しい弾圧と重税に耐えかねた農民たちが島原で一揆を起こした。一揆の中心となったのがキリシタンの天草四郎である。この島原の乱以後、幕府は宣教師の入国を恐れ、鎖国政策をとることになる。

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  • 2018/07/12(木) 09:30

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  • 2018/07/13(金) 09:30

まんが日本史 #44

<#44 士農工商−身分制度の確立と元禄文化−> 鎖国を完成させた家光は、士農工商という身分制度を作り封建社会を確立した。家光の死後、家綱が四代将軍に、そして綱吉が五代将軍になった。この時代になると江戸幕府はゆるぎないものになっていた。この頃、大阪を中心に町人や商人たちの中から井原西鶴の小説や俳句の松尾芭蕉、浄瑠璃の近松門左衛門、浮世絵の菱川師宣など優れた文化が生まれた。これが元禄文化である。

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  • 2018/07/13(金) 09:30

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  • 2018/07/16(月) 09:30

まんが日本史 #45

<#45 ゆらぐ封建制度−享保の改革と田沼時代−> 1716年(享保元年)、徳川吉宗が8代将軍になり大岡忠相を江戸町奉行に抜擢した。吉宗は目安箱の設置・上米の令・新田の開発・町火消しの制度化など、大きな改革を行った。(享保の改革)。10代将軍家治の時代に登場した田沼意次は、幕府の財政を救うために積極的な経済政策を次々に実行した。しかし折から全国を襲った大飢饉のためにそのすべては失敗に終わった。

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  • 2018/07/16(月) 09:30

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  • 2018/07/17(火) 09:30

まんが日本史 #46

<#46 江戸町人文化の開花−蘭学と国学−> 1787年、徳川家斉が11代将軍となった。補佐役になった松平定信は幕府の財政再建の改革を積極的に行った。このころ、オランダ医学の研究から発展した蘭学が始まり、また一方では本居宣長らによって日本独自の歴史や文学を探ろうとする国学が学ばれるようになった。また、町人の間には里見八犬伝などの小説や、歌麿などの浮世絵が黄金時代を迎えた。化政文化である。

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  • 2018/07/17(火) 09:30

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  • 2018/07/18(水) 09:30

まんが日本史 #47

<#47 ゆきづまる幕府−北方探検と大塩平八郎の乱−> 1792年、ロシアの使節ラックスマンが松前に上陸、貿易を求めてきた。驚いた幕府は諸藩に海岸線の防備を命じ、北海道の開発を急いだ。近藤重蔵らによる大規模な調査や、伊能忠敬による測量も行われた。その頃、東北を中心に全国的な飢饉が起こり、大阪でも飢え死にする人が出た。各地では一揆や打ちこわしが始まり、これを見かねた大塩平八郎は人々を救うために立ち上がった。

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  • 2018/07/18(水) 09:30

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  • 2018/07/19(木) 09:30

まんが日本史 #48

<#48 黒船来る−井伊直弼と安政の大獄−> 1853年6月、ペリー提督率いる4隻の軍艦が浦賀沖に現われ、日本に通商を求めてきた。幕府はその武力を恐れ、交渉に応じた。そして日米和親条約が結ばれ、200年に及ぶ鎖国はついに終わった。こうした幕府のやり方を厳しく批判したのが水戸の斉昭や長州の吉田松陰たちである。大老・井伊直弼は彼らを処刑して幕府の権威を保とうとしたが、彼も暗殺者の手によって命を絶たれた。

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  • 2018/07/19(木) 09:30

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  • 2018/07/20(金) 09:30

まんが日本史 #49

<#49 尊皇攘夷−幕府の志士たち−> 大老・井伊直弼が暗殺されると、日本中に外国を打ち払おうとする攘夷論が広まった。一方で尊王思想を持つ人々が現われ、攘夷派と結びついて尊王攘夷運動が長州藩と薩摩藩の下級武士を中心に起こり、幕府と対立した。幕府は劣勢を挽回し、尊皇攘夷派を抑えるために朝廷と親戚関係を作り、公武合体策を推し進め再び幕府の権威を高めようとする。

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  • 2018/07/20(金) 09:30

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  • 2018/08/01(水) 09:30

まんが日本史 #5

<#5 大化の改新−中大兄皇子と藤原鎌足−> 聖徳太子の死後、朝廷では蘇我氏の勢力が強くなり、蝦夷・入鹿親子が横暴をほしいままにしていた。そんな時、中大兄皇子と中臣鎌足(後の藤原鎌足)が出会った。二人は力を合わせて蘇我氏親子を亡ぼし、政治の実権を再び朝廷に取り戻した。二人は聖徳太子が理想とした天皇中心の中央集権国家を作るための政治改革を行った。

放送時間

  • 2018/08/01(水) 09:30

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  • 2018/07/23(月) 09:30

まんが日本史 #50

<#50 攘夷から倒幕へ−薩長連合と坂本龍馬−> 下関で外国船を砲撃した長州藩は、尊皇攘夷のリーダーシップを握っていた。公武合体をすすめる幕府と朝廷は長州藩を京都から追放。長州藩が京都に出兵したのをきっかけに、幕府は長州征伐を行った。外国船砲撃の報復で下関を占領されていた長州藩は、やむなく幕府に降伏。しかしその後、薩摩・長州両藩に討幕運動が起こり、坂本龍馬の仲介で薩長連合が成立する。

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  • 2018/07/23(月) 09:30

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  • 2018/07/24(火) 09:30

まんが日本史 #51

<#51 江戸幕府の崩壊−大政奉還と戊辰戦争−> 1866年、幕府は第二回長州征伐を行った。しかしこの戦に苦戦している間に将軍・家茂が亡くなり、幕府は戦いを中止した。15代将軍になった慶喜は幕府軍の増強を始めた。しかし孝明天皇が亡くなると慶喜は討幕派の動きを封じるため1867年、大政奉還をした。しかし討幕派は慶喜に将軍の辞任と領地の返還を要求し、旧幕府側を挑発して内戦を起こした。これが戊辰戦争である。

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  • 2018/07/24(火) 09:30

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  • 2018/07/25(水) 09:30

まんが日本史 #52

<#52 明治維新−新政府の出発−> 1868年2月、新政府は慶喜追放命令を出し、江戸を包囲した。しかし、新政府軍は戦うことなく江戸城へ入城した。その後も江戸の彰義隊や東北諸藩との間に戦いが続いたが、函館の五稜郭の戦いを最後に国内は新政府軍によって統一された。江戸城に入った明治天皇は江戸を東京と改め、年号も慶応から明治とあらため廃藩置県や学校制度など新しい近代日本がスタートした。

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  • 2018/07/25(水) 09:30

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  • 2018/08/02(木) 09:30

まんが日本史 #6

<#6 壬申の乱−新しい国家の誕生−> 天智天皇の後継者は弟の大海人皇子が最有力だったが、天皇の死後、大海人皇子と天皇の子・大友皇子の対立が激しくなる。ついに大海人皇子は大友皇子を亡ぼした。飛鳥に都を移した大海人皇子は、天武天皇となり天皇中心の政治を始めた。天武天皇の死後、皇后が持統天皇として即位し、日本最初の本格的な都・藤原京を建設し、夫の天武天皇の政治をさらに推し進めた。

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  • 2018/08/02(木) 09:30

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  • 2018/08/03(金) 09:30

まんが日本史 #7

<#7 大仏開眼−仏教文化と奈良時代−> 朝廷は、都を奈良の平城京へ移した。都を移すには莫大な費用と労力が必要で、常に庶民がその犠牲になり、巷には浮浪者の行き倒れが多く出た。聖武天皇と光明皇后は、こうした人たちを救うために施薬院や悲田院を作った。天皇と皇后は仏教の信仰心が厚く、仏教の力を借りて社会不安を取り除こうと全国に国分寺を建て、更にその中心となる大仏を建立することにした。

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  • 2018/08/03(金) 09:30

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  • 2018/08/06(月) 09:30

まんが日本史 #8

<#8 鑑真和上の来日−遣唐使と中国文化−> 733年、遣唐使船が唐に向かった。その船に、栄叡と普照という二人の僧侶が乗っていた。二人は唐の国から徳の高い僧を招くという大事な役目を持っていた。唐に渡った二人は苦労の末、やっと鑑真という高僧にめぐり会うことができた。しかし鑑真の日本渡航は嵐にあったりして失敗し、やっと6度目に日本へたどり着いた時には鑑真はすでに盲目になっていた。

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  • 2018/08/06(月) 09:30

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  • 2018/08/07(火) 09:30

まんが日本史 #9

<#9 道鏡の野心−貴族と僧侶の争い−> 8世紀の中ごろ、藤原仲麻呂は太政大臣として政権を握っていた。この頃、僧侶として頭角をあらわしたのが弓削道鏡である。道鏡は次第に大きな権力を手に入れた。そして仲麻呂と対立するようになり、ついに仲麻呂は滅びることとなる。やがて道鏡は、自分が天皇になる野心を持つようになった。和気清麻呂は、一身を投げ出してこの道鏡の野心を打ち砕く。

放送時間

  • 2018/08/07(火) 09:30

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